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日本が地球温暖化問題で世界をけん引したと、現時点でいえる状況ではない。
だが、議定書をきっかけに、日本が環境の国際的な議論をリードし、民間の誇る技術力で世界を変える可能性は生まれている。 数値目標がなければ、この動きを起こすことは難しかった。
大木浩元環境大臣は「議定書を契機に、日本社会が大きく変わり、環境の面で世界をけん引することが私の希望だ」日本の数値目標は、他国に対して衡平性を欠く。 日本はエネルギー効率が世界で最もよく、その利点が京都議定書では強調されていない。
EUに有利な仕組みの上で、議定書の国際体制が作られている。 しかも、京都会議時点で協調して高めの数値目標を設定した米国は、この体制から離脱してしまった。
日本の負担は、世界で際立つものとなった。 国民の付託を受けた政治家が決めたことは最大限に尊重されるべきだ。
この数値目標は一九九七年当時の橋本首相、大木環境庁長官など政治家が、官僚によって選ばれた選択肢の中から決断した。 ただ、その政策決定の中で、政府部内で削減義務の達成可能性や負担の衡平性を詳細に討議した形跡はない。

通産省から国内対策による削減は難しいとの疑問の声は上がった。 だが、六%削減という国全体の数字の決定では「国際的な配慮」と「会議の妥結」という目的が政策決定に影響を与えた。
国内対策でも、あいまいな「基準年比二・五%減」との目標が、今でも国の政策となっている。 主権者である国民が合意したのなら、過剰な負担を決定したとしても、それは受け入れられるべきだ。
だが、京都議定書が批准されても、国は負担についての問いかけを国民に行っていない。 国民の大半は議定書について事実をよく知らない。
そして、選挙や世論でだが、政策決定プロセスの中で疑問を示した通産省(現経産省)のこれまでの政策にも問題があった。 なぜ、京都議定書をめぐって負の側面を直視し、それを修正しようとの声が国民からわき上がらないのか。
地球温暖化やその裏にあるエネルギー問題について、国民の議論や監視が行われず、意見や見識を集約する場がこれまでなかったためだ。 チェックをするプロセスがあれば、政策の修正や冷静な分析に基づいた負担をめぐる議論が行えただろう。
私は、政府がこれまで行ったエネルギーをめぐる政策決定の仕組みに問題があると考える。 日本のエネルギー問題では、原子力発電について推進と反対の対立が七○年代に生じ、現在に至るまでそれを克服できていない。
こうした状況の下で経産省はエネルギー政策を進めてきた。 地域住民や国民がエネルギーをどのように使うのかという合意を積み上げるという形でなく、電力・ガス・石油の各業界といった供給者側との対話が重視された。
政策決定プロセスの閉鎖性の意思表明で、選択をしたこともない。 温室効果ガスの大幅な削減には必ず負担が伴い、経済や社会の変革が生じる。

この現実を国民に「語りかける」ということが政治家や政府に求められるはずだ。 しかし、その負担を国民に詳細に語った言葉を私は知らない。
反原発運動には「原発の全廃」などを唱える非現実的な主張もあった。 「安定供給」と「エネルギー価格の下方誘導」という政策目的が重視される中で、手間のかかる国民各層の合意の形成が難しかった側面はある。
しかし、その結果、大多数の国民はエネルギーの対価を支払い、サービスを受け取るだけの単なる「消費者」になってしまった。 自らがエネルギーの作られる方法を選択し、使い方を選ぶという形で、エネルギー問題に主体的にかかわる機会は少なかった。
温暖化問題はこれまでとは状況が違う。 温室効果ガスの中心であるCO2の排出源は国民生活と経済活動に伴って無数にある。
そして、CO2を減らすことは、エネルギーの生産と使用をどうするのか考えることと、ほぼ同じだ。 供給者側との関係だけで解決する問題ではない。
国民の協力と、その前提となる政府と国民との政策的合意の集積が必要だ。 この問題が九○年代に浮上したとき、国民は通産省の言葉に耳を傾けず、議定書の負の側面に反対の声を上げなかった。
「地球のため」、「環境のため」という情緒的な議論が先行し、よく実態が分からないまま議定書を受け入れた。 問題の解決のために自らが主人公となって動き始めた人々がいる一方で、状況を傍観するだけの人もまた多い。
日本の大多数の国民は環境問題について対応できる経済的余裕を持ち、高い教育水準と「公の意識」を持つ世界に誇るべき人々だ。 それなのに、国民の間に温暖化問題について、そして、この京都議定書の負の側面をめぐる動きが、日本で一九九○年代から顕在化したさまざまな「失政」と類似しているように、私は感じる。

実現できるか深く考えないまま、温室効果ガスを削減する数値目標が「国際的配慮」というあいまいなものが影響して決まる。 ところが、その目標は外国に有利だ。
結局、その数字のために、つじつま合わせの政策が累積されていく。 そして、主権者である国民は自ら参加をしないが、同時に現実を知らされない。
政治家や官僚から出る言葉は、京都議定書の「正しさ」と「地球を守れ」というスローガンで、影の部分が語られない。 官僚機構で煮詰められた政策が政治に逆流するが、そのプロセスは閉鎖的で国民の知恵を集める過程がない。
官庁間での情報のやりとりや意思疎通は欠如している。 議定書の受け入れによって、日本の経済・社会に生じる影響の全体像を誰も把握していない。
このように一連の動きを要約すると、ある種の「既視感」にとらわれてしまう。 みえない司令塔負担を直視し、合理的な政策を模索する議論がこれまで生じたとはいえない。

日本のエネルギー政策の問題点と、日本にとっての京都議定書の負の側面は一体であるように、私には思える。 エネルギー、環境、交通、建築、社会体制作りなど、温暖化問題の対策は多分野にまたがっている。
「司令塔」ともいえるような対策を総合的に考え、調整する場が必要だ。 そして、そこは国民の意見を集約する場でもあるはずだ。
しかし、日本には見当たらない。 京都議定書の成立した九七年は、判断の誤りが累積され、日本は金融危機に直面した。
これを分析したジャーナリストらは、経済政策をはじめとする国家の意思決定のプロセスに欠陥があるのではないかと指摘している。 「方向性としてある程度の妥当性を持った政策が集まったときに、「合成の誤謬」が生じてしまった背景には、立案プロセスが不透明で、したがって責任の所在が明確でなく、官庁の壁を超え総合的にものごとを考察するセクションがないという今の国家意思の決まり方にも問題があるのではないか」(注一)。
京都議定書をめぐる政策決定では、巨大金融機関の倒産や恐慌など、悲惨な結末はまだ生じていない。 しかし、議定書の義務が課せられる二○○八,三年の第一約束期間の始まりは迫っているのに、現実の負担を直視せずに波風を立てまいとする政策が進行している。
このままでは、日本が京都議定書の国際義務を達成できないか、義務達成のためとして国民に過剰な負担が課せられるかの、二つの危険な結末が生じかねない。 京都議定書についての事実と、これまでの政策の結果を直視した上で、温室効果ガス、CO2を規制する社会の姿を考え始めなければならない。

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